ガネーシャの杜 
ここでは珍しいガネーシャをご紹介いたします。冒険堂店長の見つけてきたものやお客様から
ご紹介いただいたものです。お客様の中でもし珍しいガネーシャをお持ちの方がいらっしゃいま
したらぜひご紹介くださいませ。またガネーシャの謂われなどについて下部にまとめてみました。
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2005年4月にバンコクで見つけたものです。木の枝のように見えたので『枯れ木ガネーシャ』と名づけました。
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2005年4月にバンコクの路上で売られていたものです。残念ながら移動中に陥没してしまい非売品の扱いにしました。その台座には「ナコンパノム県クラーングバーンケオ寺」という銘が刻まれています。 |
2004年に初めて見つけた、被り物の代わりに第三の目らしきものを持つガネーシャです。しっかりとした造り、色合いといい御気に入りの一品です。 |
2005年4月に発見。左のものと似ていますが、角のような被り物が特徴です。冒険堂の宝のような存在です。 |
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| 画家の小屋氏からご紹介いただいた逸品です。シヴァリンガとナーガ、牛、ネズミ、二つのお供えなど舞台装置が楽しい、珍しいものです。台座の寸法は22cm×13cm×5cmです。 |
これもまた小屋氏の所蔵品です。高さ28cmのガネーシャ。カンボジアの発掘品らしいとのこと。台座周りのドクロがかっこいいですね。ドクロは全部で22個あるそうです。 |
小屋氏所蔵品です。冒険堂でも販売する「リンガを抱く」形態のガネーシャです。リンガへの寄りかかり具合が面白いですね。台座の厚みが優雅な雰囲気です。 |
小屋氏所蔵品です。西インドのコンド族の製作。全体にひもを巻きつけるような手法で作られています。非常にうらやましい一品です。 |
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| 小屋氏所蔵のレリーフ。5円玉ほどの大きさで金属製。まさしく発掘品のような趣き。目を凝らして見ると四本の手を持つガネーシャ坐像が浮かび上がってきます。裏面⇒1 |
非常にシンプルな、お腹だけが突き出た「太っ腹ガネーシャ」です。2005年4月に冒険堂店長がタイで発見しました。こういうものは一つだけ製作されたものなのでしょうか? |
2003年にタイで購入した「法螺貝に乗るガネーシャ」です。ところどころに金箔が貼り付けてあり、市井の人々の信仰の跡がうかがえます。 |
こちらは貝に包み込まれた小さなガネーシャです。貝がまるでゆりかごのようです。見ていると心がなごみます。 |
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2006年2月にバンコクで遭遇しました。今のところ、私が見つけたガネーシャの中でもっともインパクトの強いものです。ものすごく不気味です。裏面のちょっと朽ちかけた部分が気色悪いです。 裏面⇒1
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いわゆる「第三の目」の部分に
前髪のようなものが垂れています。2005年4月にバンコクで見つけました。製作者はなにを考えながらデザインしたのでしょう? |
これはネパールのガネーシャ・ペンダントです。石に浮き彫りにされたもので、一見、ガネーシャとは判別が付かないくらい、あいまいです。冒険堂で発売を予定しています。 |
2006年、バンコクで見つけました。木彫りのガネーシャです。木に彩色された感じや大胆な彫り方が気に入ってます。素朴で味わい深い、というありきたりな表現がピッタリです♪ |
■ガネーシャの成立 
ガネーシャの成立 について、なるべくわかりやすく下記のようにまとめてみました。
お客様から寄せられた御質問をもとに作成しております。またこれを書くに当たっては、長谷川明著『歓喜
天とガネーシャ神』を激しく参考にしております。 著者自身が明記している通り、ガネーシャ成立の過程には
不明な点が多く、長谷川氏の独断の入る部分のあることをお断りしておきます。
さて、ガネーシャ の呼称にはいろいろあって、試しに挙げてみると
◆ガネーシャ(集団の長)
◆ガナパティ(集団の長)
◆ヴィナーヤカ(障害除去者)
◆ヴィグネーシュヴァラ(障碍王)
◆ガジャーナナ(象面の者)
◆エーカダンタ(一牙者)
◆ラムボーダラ(腹の出た者)
◆ドヴィデーハ(二つの身体を持つ者)
などがあります。このうち二つの呼称『ガナパティ』と『ヴィナーヤカ』を前記長谷川氏はとりあげ、まず象面の
農業神としてガナパティへの信仰があり、対して都市部で信じられていたヴィナーヤカという悪霊と合体して、
ひとつのガナパティ=ヴィナーヤカ教をおおよそ三世紀の頃までに形成した、という仮説を述べられています。
これが初期課程です。
ヒンドゥー教の体系においてはガネーシャは、シヴァとパールヴァティーの子供ですが、これはシヴァ系の宗教が、
それとは別の宗教であるガナパティ=ヴィナーヤカ教を取り込んだ際に生まれた解釈と思われます。「なぜ象の
頭を持つか?」という由来がさまざまに作られ形成される時期、これを中期とします。
そして後期として、シヴァ系の宗教に一回取り込まれたガネーシャはさらなる発展を遂げて、ついにガネーシャ
を最高神とするガーナパティヤ派が生まれます。現在、ガネーシャはヒンドゥー教の神のひとりして認識されて
いますが、これはガーナパティヤ派が消滅したというよりも、拡散したのかもしれない、という表現を長谷川氏
は使っています。
■なぜ象面か? 
以上の成立過程をとりあえず頭に入れた上で、ガネーシャがなぜ象面になったか、の言説を三つ挙げておきます。
ヒンドゥー神話においては、ガネーシャは象面に「なる」のですが、基本的にガネーシャはもとから象面です。
@ ガネーシャの母パールヴァティーは以前、沐浴していると突然夫のシヴァが帰宅して沐浴の姿態を見られて
恥ずかしい思いをしたことがあった。そこでパールヴァティーは自分の垢を取って人形を作り、生命を吹き込んだ。
そしてそれに「おまえは私の息子である」と宣言してから、自分の命令以外は絶対に聞かないようにと言い渡して
門番をするように命じた。そこへシヴァが帰宅した。シヴァがパールヴァティーが沐浴しているにも関わらず中に
入ろうとしたためパールヴァティーの息子が押しとどめた。激怒したシヴァは雷電を投げつけて息子の首を切り
落とした。それを聞いたパールヴァティーは怒り狂って世界を破壊しはじめた。ナーラダ聖仙が仲介にたって、
息子を生き返らせるよう要求するパールヴァティの願いをシヴァに聞き入らせた。
シヴァは小象の頭を切り取って息子の胴体につけた。息子は生き返った。
■なぜ牙が一本か? 
よく知られている四つの説があります。
@上記の誕生エピソードと関連して、首をすげかえるときに、とってきた象の牙が一本しかなかった。
Aシヴァに答礼に来たパラシュラーマがガネーシャの制止を聞かず、家に入ってきたため争いになった。
パラシュラーマの斧を左牙で受けた。註:(よく知られた文献に左牙で受けたと書いてあるのに、
多くのガネーシャ像では右の牙が折れている)
Bガネーシャが『マハーバーラタ』を記述するため、ペンの代わりに自分で引き抜いた。
Cあるときガネーシャはモーダカ(砂糖菓子)を食べ過ぎてしまった。帰宅しようとしてネズミにまたがったが、
突然目の前を横切った蛇にビックリして、ネズミはガネーシャを放り出してしまった。その勢いでガネーシャの
腹は裂け、モーダカがあたりに散らばった。あわててガネーシャはモーダカを拾い集めて胃に戻すと、
ネズミをビックリさせた蛇をつかまえて、腹にしばった。さて帰宅しようとすると、一部始終を見ていた月が
笑う声が聞こえてきた。笑われて怒ったガネーシャは自分の牙を引き抜いて月に投げつけた。
註:1、ガーナパティヤ派の彫像では牙はそろっていることが多い。
註:2、野生の象を家畜化するとき、危険防止のために牙を切る習慣がある。このことから、
ガネーシャが魔神から善神になったあかしとして、牙が一本ないのだという定説がある。
■なぜネズミに乗るのか?

@大地の女神がガネーシャに乗り物としてネズミを与えた、から。『ブラフマヴァイヴァルタ・プラーナ』
A古代インドで、象をトーテムとする部族がネズミをトーテムとする部族と争い隷属化した歴史を現している。
D・チャットーパーディヤーヤの説。
Bガネーシャの乗るネズミはもともとガジャムカ(象面)と呼ばれる魔神だった。彼は苦行を積んで、
神にも人にも獣にも殺されないという特権を得ていた。そこで、そのどれにも当てはまらないガネーシャが
戦うことになった。最後にガネーシャが自分の右の牙を折って投げつけるとガムジャカは倒れ、
大きなネズミになってしまった。ガネーシャはそれを乗り物とすることにした。『ガネーシャ・プラーナ』
註:ガネーシャはライオンにも乗るし、孔雀にも乗ります。ヒキガエルにも乗れば法螺貝にも乗ります。
■なぜ学問の神か? 
@ガネーシャが『マハーバーラタ』の口述筆記をしたから。
「あるときヴィヤーサ仙はのちに『マハーバーラタ』と呼ばれる長大な叙事詩の構想を得たが、筆記できる
人間が見つからない。そこでブラフマー神に祈ったところ、ブラフマー神はガネーシャに頼んでみろと言う。
ヴィヤーサ仙はガネーシャに祈念したところ、ガネーシャが現れ願いを聞き届けた。ガネーシャ右の牙を
引き抜いてペンとし、口述は滞りなく進んだ。」
■ガネーシャの持ち物は? 
矢・斧・弓・シトロン・雄鶏・法螺貝・円盤(チャクラ)・突き棒(アンクシャ)・蓮華・鎚矛・モーダカ・輪縄
・稲穂・ロザリオ・髑髏・槍・サトウキビ・雷電・牙・宝石入れ・如意鳶(カルパラター)・大根など。
註1:突き棒(アンクシャ)というのは象使いの道具。
註2:モーダカは砂糖菓子でが、『パドマ・プラーナ』によれば「至高の知恵」である。
■なぜドクロの台座の上に? 
ガネーシャ像のなかにはドクロの台座(瓔珞)の上に座るものが多くあるが、これは世界終末のときの
ドクロをまとったシヴァの姿を踏襲したもの。カパーリンと呼ぶ。カパーリンとは「ドクロを飾る者:の意。